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居室の上座に迎え入れた信長の前で、濃姫は弾くように目を見開いた。
「如何にも。かような事が頼めるのは、蝮の親父殿をおいて他にはおらぬ故な」
「まぁ─」
道三への援軍要請の話を聞かされた濃姫は、一瞬その面差しに緊張を走らせると
「ご安心下さいませ、美濃の軍勢は皆つわもの揃い。村木の地にても、殿の戦勝の為に大いにその力を発揮してくれましょうぞ」
愛嬌のある笑みを浮かべ、ゆったりと首を前に振った。
自分の父を、美濃の兵たちを信長が頼ろうとしてくれている。Notary Public Service in Hong Kong| Apostille Service
戦と分かっていながらも、濃姫はその事実が嬉しくてならなかった。
しかし喜びも束の間
「いや──。お濃、そうではないのだ」
信長はにべもなくそれを一蹴した。
「そうではない、と仰いますと?」
怪訝そうに眉を寄せる姫に
「共に闘こうてもらう為に軍を遣わして頂くのではない。この城を守ってもらう為に軍を遣わして頂くのだ」
信長は抑揚のない合成音のような声で告げた。
「何しろあの今川との戦じゃ。決着がつくまでに幾日要するか分からぬ。場合によっては七日、十日、はたまた一月(ひとつき)かかるか…」
「そんなにでございますか!?」
「さすがに一月は大仰やもしれぬが、少なくとも行って帰って来るだけでも二、三日は要するであろう。
儂が長く城を空けると知れば、他の敵方が……特に清洲の信友らが、大軍勢を引き連れてこの那古屋城へ攻め寄せる恐れがある」
「清洲様が?」
「我が首を狙わんと、こちらの隙ばかりを窺ごうている連中じゃからな。
最近では末森城の信勝のもとへ出向き、何やら良からぬ事を企んでいる気な様子」
「…まさか。あのお優しい信勝様に限って、実の兄上である殿を裏切るような真似は致しますまい」
「だと良いがな」
はっと短い溜息を漏らすと
「いずれにしても、親父殿に城番の軍勢一隊でも遣わしてもらわねば、こちらも安んじて出陣する事が出来ぬ。
儂の留守中に、この城ばかりか、町にまで火を放たれては大変じゃからな」
信長は如何(いか)にも城主らしい、威厳に満ちた面構えで言った。
「そこでじゃ、お濃、そなたに頼みがある」
「何でございましょうか」
「使者を美濃へ遣わすにあたり、そなたに文を一通したためてもらいたいのだ」
「お文を?」
と一言呟くなり、濃姫はすぐに察しを付けたように、やんわりと微笑んだ。
「承知致しました。紙の上であろうとも、必ずや殿の御為に、父上様のお心を掴んでみせまする」
姫は打掛の褄(つま)を引き、そのまま立ち上がろうとする。
「暫し待て──。そなた、いったい誰に宛てて文を書くつもりじゃ?」
「ですから美濃の父上様に…」
「そうではない。考え違いを致すな」
濃姫は思わず「えっ」となり、浮かせかけた腰を再び畳の上に下ろした。
「軍を派遣していただけるように、父上様を説得する文を書くのではないのですか?」
「親父殿への説得は使者の役目じゃ。左様な事を一々そなたに頼んだりしては、こちらの信用を疑われてしまうわ」
「でしたら、私は誰に宛てて文を書けばよろしいのです?」
「小見の方殿にじゃ」
「小見…、母上にでございますか?」
この夫の口から、我が母の名前が出て来るとは思いもしなかった濃姫は、目を二、三度ぱちくりさせると
「何故(なにゆえ)に、母上様に文を書かねばならないのです?」
第一の疑問を率直にぶつけた。
「今川を叩き潰したいのは親父殿とて同じじゃ。それ故、儂がその為の援軍を寄越してほしいと申せば、
尾張と美濃、同盟国の絆も相俟って、親父殿は喜んで一軍を遣わしてくれるであろう」